【3658】 ○ フリオ・リャマサーレス (木村榮一:訳) 『黄色い雨 (2005/09 ソニー・ミュージックソリューションズ) 《(2017/02 河出文庫)》 ★★★★

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黄色い雨』['05年]『黄色い雨 (河出文庫 リ 5-1)』['17年]フリオ・リャマサーレス(1955年生まれ)

 舞台はピレネー山脈麓の過疎村アイニェーリェ村。主人公の私の語りで物語は進む。村の住民が次々に離村していった。私の娘はたった四歳の時に病気で苦しみ抜いた末に死んだ。私の息子も一人はスペイン内戦の時に徴兵されて消息不明となり、もう一人の息子も家族を捨てて出て行ったきりである。結局、私と妻のサビーナ、そして飼っている雌犬のみが村に残された。そして、妻もやがて寂しさに耐えきれなくなって、首を括って死んだ。私は廃村になった村で雌犬と共に細々と命を繋いだが、ただ死を待ち受けているだけにも思えた。私はある日、毒蛇に噛まれて生死の境を彷徨った。そして、その頃から、私の前の死者たちが現れるようになった。まずは母親、そして親族。そしてある日、唯一かけがえのない友である雌犬に、死の象徴であるポプラの枯れ葉色の影が落ちていることに気づいた。いずれこの時が来ると覚悟していた私は、そのためにとっておいた銃弾で犬を撃ち殺して死者たちのもとへ送り出し、自分もベッドに横人って死の訪れを待った―。

La Lluvia Amarilla.jpg スペインの小説家、詩人フリオ・リャマサーレス(1955年生まれ)が1988年に発表した小説で(原題:La lluvia amarilla)、リャマサーレスはマドリッド大学の法学部に入学し、卒業後は弁護士を経てジャーナリストとして働く傍らで詩を書き続けていましたが、この作品で(法律やジャーナリズムとは対極にあるような幻想的な作品だが)世界的に知られるようになり、小説の執筆に活動の重点を移したとのことです。

La Lluvia Amarilla』(スペイン語版ペーパーバック)

 小説の舞台のアイニェーリェ村は実在することが小説の冒頭に書かれています。1970年に廃村になったものの、家々は徐々に崩れながらもまだ建っていると。そして主人公の「私」も、次々に崩壊していく家屋を眺めながら、過去の思い出について語り出す。村であった出来事、村を離れていく息子や近所の人々。村と共に生き、今は村と共に死に絶えようとしている「私」は決して死から目をそらすことなく、最後まで冷静に観察を続け、或いは見方によっては、もうすでに死んでいて、死者の世界から語り掛けているようにもとれます。

 ちょっと、ラテンアメリカ文学におけるマジックリアリズム的雰囲気も感じました。そう言えば、『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケスも、ジャーナリスト兼小説家(ジャーナリストが先で小説家が後から)でした。ただし、個人的に最も想起させられたのは、同じくラテンアメリカ文学で、1955年にメキシコの作家フアン・ルルフォが発表した『ペドロ・パラモ』(1979年/岩波現代選書)でした。

 『ペドロ・パラモ』の主人公「おれ」は、母親が亡くなる際に言い遺した、自分たちを見捨てた父親に会って償いをさせろという言葉に従い、顔も知らない父親ペドロ・パラモを捜しに、ある町に辿り着きますが、町には生きている者はなく、ただ、死者ばかりが過去を懐かしんで、蠢いているだけだった―というもの。この小説のスゴイところは、何と主人公も実は死んでいたということで(途中でそのことがわかるが。それまで自分が死んでいることに気づかない)、シュールなところが似ているように思いました。

 『黄色い雨』は、200ページ弱と中編と長編の間ぐらいの長さですが、物語の最初の方で妻が首を吊って死んでしまい、あとは傍にいるのは雌犬ただ一匹という孤独な〈私〉が、迫りくる死と向き合い、それを見つめ続けるという重苦しい描写が続きます。ただし、一方で、失われた多くのものへの美しいレクイエム的な感情も描かれています。

 結局、最期、人間は一人で死んでいくのだということでしょう。失われたものたちへの深い哀惜の念を抱きながら、やがて自分もいつかその一員となるという、死に対する怖れと、死を受け入れることによる安心。そうした思いを読む側に抱かせる不思議な作品でした。

【2017年文庫化[河出文庫]】

《読書MEMO》
●2025年11月29日(土)付の「朝日新聞」朝刊の読書面「気になる本 読みかえす本」で、ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル&ギターの(小説家でもある)尾崎世界観氏がこのフリオ・リャマサーレスの小説『黄色い雨』を紹介していた。コロナ禍の時の読んだとのこと。この記事は、朝日新聞社の関連サイト「好書好日」でも読める(「他者の存在から自分が見える 尾崎世界観」)。


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This page contains a single entry by wada published on 2025年11月 3日 06:05.

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【3659】 ○ アダニーヤ・シブリー (山本 薫:訳) 『とるに足りない細部』 (2024/08 河出書房新社) ★★★★ is the next entry in this blog.

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